火曜日, 8月 21, 2007

胡桃の樹の下で 3

   3

 先生がなにか言ってる。

 ボクのかおをじっと見てなにか言ってる。

 先生の声がよくきこえない。

 でも、なんだか先生はおこっているようだ。

 まわりのみんなはボクのほうをじっと見ている。

 ボクはなにもわからないからじっとしている。

 先生がボクのそばに来た。

 そして、きょうかしょでボクのあたまをたたいた。

 なんでたたかれたのか、わからない。

 そんなにいたくはなかったけれど、なみだがでた。

 まわりのみんなはボクをばかにしたような目で見ているだけ。

 ボクの心はちくりとした。

 そこでゆめがさめた。

 おきあがろうとすると、がさがさという音がきこえた。

 ボクの上には、たくさんのはっぱがのっていた。

 ねるまえには、はっぱがなかったから、ねているうちにボクをつつんでくれたんだろう。

 はだざわりはよくないけれど、とてもあたたかかった。

 ボクははっぱをどけておきあがる。

 木に水をあげなくっちゃ。

 きっと木ものどがかわいてるはず。

 ボクはいずみに行って手のひらで水をくんできた。

 そしてそっと木のねもとに水をあげた。

 なんかいも水をあげた。

 ちょっとつかれた。

ボクも水をのんだ。

 でも、この木は大きいからもっと水をあげなくちゃ。

 もっといっぺんにあげることができないかな。

月曜日, 8月 20, 2007

胡桃の樹の下で 2

   2

 今日からボクはここにすむことにした。

 この木といっしょ。

 なんだかこの木はボクを守ってくれそうな気がしたんだ。

 ボクは木に水をあげる。

 木はボクにすずしいこかげをつくってくれる。

 キョウゾンキョウエイというのかな。

 ボクはこの木がすきだし、きっとこの木もボクのことをすきだと思う。

 ボクはきっとこの木を守るためにここに来たのだと思う。

 もしかしたら、この木がボクをよんだのかもしれない。

 どっちにしてもボクはかまわない。

 ボクはこの木がすきだし、ずっとここにいようと思ってる。

 なんだかねむくなってきた。

 ずっと歩いたし、この前、いつねたのかもおぼえていない。

 ちょうど少し木のくぼんだところがある。

 ここでねよう。

日曜日, 8月 19, 2007

胡桃の樹の下で 1

   胡桃の樹の下で

 ボクは、いつからここにいるのかわからない。

 気がついたらここにいた。

 ここはあたたかで、きもちがいい。

 ときどきふく風もつめたくない。

 ここはとっても広い。

 いくら目をこすったって見えるのは地平せんだけだ。

 ボクは原っぱをずっと歩いた。

 なんじかんも。

 ときどき、休んだ。

 ここにはいろんな所にいずみがある。

 つめたくてすきとおったきれいな水だ。

 ボクはその水を手のひらですくってのんだ。

 とてもおいしい。

 3回休んだとき、むこうになにかが見えた。

 ちかづいていくと、それは大きな木だった。

 ボクは木の下までいった。

 その木は大きくてりっぱでたくましかった。

 なんだかボクはその木がすきになった。

火曜日, 7月 31, 2007

『たもちゃん vol.9』

 『たもちゃん vol.9』

 たもちゃんが家にやって来た。

 何年振りだろう。

 兎に角,今の家に引越しをしてから,初めてやって来ることになった。

 まず,やって来る前に一騒動があった。

 出かけようとする直前,たもちゃんは意識不明になった。

 義母や義姉が出かける準備をしている時に,突然なったらしい。

 目は虚ろ。

 口からは涎。

 頬っぺたを叩いても,肩をゆすっても,返事が無い。

 義母と義姉は,もう駄目だ,救急車を呼ぼうかというところまで思ったと言う。

 そこで不図,義母はたもちゃんの口が開いていたため,飴玉を放り込んだ。

 すると,たもちゃんは僅かではあるが,意識を取り戻した。

 たもちゃんは低血糖になったため,意識が朦朧としてしまったのだ。

 後に義母は,

「あの時,意識が戻らなかったら,今頃ドライブなんかしてないで,葬式はどうしようという話になったね」

 と述懐した。

 まあ,兎に角,周りを驚かせたが,何とか我が家に無事にやって来た。

 久々に見るたもちゃんは,以前にも増して,病が進行していた。

 歩く姿は,腰を30度程曲げ,足をヨチヨチさせている。

 膝を普通に上げることが出来ない。

 殆ど引き摺るも同然の歩き方だ。

 我が家にやって来たたもちゃんが,まずしたことは,小用であった。

 体の自由がきかないため,たもちゃんはトイレの前で義母と嫁の手によって下着を剥ぎ取られた。

 オイラはその後姿を見ていたのだが,足と足の間から大きな大きなフグリが見えた。

 びよ~んと伸びきった,今は用済みの器官である。

 その姿は,哀れではあるが,ちょっと滑稽でもあった。

 次の日,オイラはたもちゃんと義母と嫁を乗せて,ドライブに行った。

 たもちゃんたちはまだ,富良野のラベンダー畑を見たことが無かったのである。

 ラベンダー畑について,車から降りる時も簡単にはいかなかった。

 もう足を思うように動かせないのである。

 嫁と義母から叱咤激励を受けながら,車からようやく降りた。

 その後,両脇を嫁と義母が支えていたのだが,たもちゃんはずるかった。

 支えてもらっている時は,よたよたとしながら体重を預けるのだが,一人にさせるとちゃんとそれなりに歩くのである。

 嫁と義母にそう指摘されたたもちゃんは,ニヤッと笑うだけだった。

 たもちゃんは病気をいいことに,怠け者になってしまったのである。

 ずるをするようになったのである。

 「仏のたもちゃん」が「頑固なたもちゃん」になり,今度は,「ずるのたもちゃん」になった。

 オイラと嫁はこれが最後のたもちゃんの旅行になるだろうと話した。

 この時撮った写真は,大きく引き伸ばして印刷した。

 まず,葬儀用の写真にならないと思うが。

 家に帰ってから,暑かったのでアイスを食べようとオイラは考えた。

 たもちゃんにもアイスを食べるかと聞いてみた。

 案の定,たもちゃんは,にやりと笑った。

 そして,嬉しそうにアイスを口から溢しながら食べていた。

 勿論,嫁はそんなたもちゃんを叱っていた。

 たもちゃんは,2日前に意識が無かったというのに,元気であった。

 たもちゃんの葬儀はまだまだやってこないだろう。

木曜日, 7月 05, 2007

社長 39

 『社長 vol.39』

 コンパか何か,飲み会の時だったと思う。

 同期で,同じゼミの先輩Tと付き合っていたSKという女がいた。

 SKは,何かの拍子でぽろっと,本当にぽろっと言ってしまった。

 SKがT先輩とHした後,彼はぐっすり眠っていたらしい。

 そこで,SKがしたことは・・・

 なんとT先輩のポコ○ンをサランラップで包んだらしい。

 コンパは大爆笑の渦に巻き込まれた。

 そして,誰かが何故そんなことをしたのか聞いてみた。

 彼女の答えは簡潔にして明瞭だった。

 「だって,アソコが痛んだら困ると思ったんだもん」

 それを聞いて周りはさらに大爆笑した。

 しかし,その後の社長の言葉が凄かった。

 「ふ~ん,腐りやすいほど柔らかかったんだ,その『ピーッ』(放送禁止用語)」

 周りは一瞬,しんとした空気に包まれた。

 彼女はポ○チンを「アソコ」と言っていた。

 社長はもろに性器の俗称を言った。

 勿論,その席には多数の男女がいたのは,言うまでも無い。

 老若男女と言ってもいい位の。

 まあ,当然社長だからそれ位は大したことがない。

 追い討ちをかけるように,また言った。

 「そんな柔らかい『ピーッ』(男性のシンボル)だったら,『ピーッ』(女性のシンボル)に入らないでしょう?」

 「ひっひっひっひ,T先輩の『ピーッ』はふにゃ『ピーッ』なんだ」

 連続の放送禁止用語に我々は打ちのめされた。

 しかも,恐れ多くも先輩の悪口である。

 ばれたら,絶対に苛められる。

 しかも,そのTという先輩はキレやすくて有名だった。

 そして更に,生物のゼミナールの学生である社長は,生物学的用語を駆使しながら

 SKとTのHについて熱く語り始めた。

 勿論,想像である。

 想像でも彼はその手の話なら,いくらでも語り明かせるのである。

 その夜,誰も,そんな社長を止めることは出来なかった。

日曜日, 5月 20, 2007

『社長 vol.38』

 『社長 vol.38』

 社長は,ほとんど変態と言ってもおかしくない性癖の持ち主であったが,誰からも好かれていた。

 特に,ゼミの教授に可愛がってもらっていた。

 その教授は,独身女性であった。

 もしかすると,一見とっつぁんぼうや的な風貌が母性本能をくすぐったのかもしれない。

 社長は,人物批判に於いて一目置かれていた。

 ある講義の時だった。

 その時の講師は,社長のゼミの教授だった。

 隣に座ったN2が社長に何か書いて渡した。

 「今日のチャコ(教授の名はヒサ子だった)の服装を解説・批判せよ」

 社長は,一心不乱に書き込んでいた。

 勿論いつものように,左手でぎこちなく。

 出来たその論文は,素晴らしいものであった。

 「まず,服の下地が白である。これは,彼女の清廉・純潔を表すと同時に,いつでも貴方とならOKよというサインでもある。これを放って置く手は無い。君は果敢にアタックをすべきである。

「第2に,服の柄である椰子の木の葉等は,まさにトロピカルを髣髴させ南国情緒を醸し出している。と同時に南国特有の自由恋愛と情熱をも表している。これも異性に対する自己アピールである。即刻行動に出るがマナーというものであろう。

「第3に,柄の葉の色は緑である。緑は自然を最も表す色彩である。言うまでもなく,これは屋外での行為を望んでいるのである。しかも積極的に。青空の下での行為が彼女の嗜好なのであろう。

「第4に,スカートの赤が述べていることは,言うまでもなく情熱である。深い愛情である。と同時に処女喪失の時の証の色とも読み取れる。つまりは,私のすべてを貴方に捧げますという彼女の決意の表れである。君はその決意を真摯に受け止めるべきである。

「総合的に見て,今日の彼女は積極的で情熱的である。この講義が終了した後,果敢に彼女を誘い出すべきであろう」

 と,大体このようなことを書いていた。

 何につけても社長はN2とチャコをくっつけようとしていた。

 自分の方がずっと可愛がられているにも拘らず。

 そう,社長は誰に対しても性的な側面から心理を解析するという性癖の持ち主であったのだ。

 社長の教授の服装に対する心理分析はその後も行われた。

 しかし,残念ながら先程のレポート以上のできのレポートは出来なかった。

 やはり,社長もどこかでチャコのことが好きだったのかもしれない。

日曜日, 5月 13, 2007

隣の芝生は青い

 「隣の芝生は青い」

 こんな諺がある。

 「隣の芝生は青い」

 他人を妬む人間の心理を表す諺だ。

 ということで,またもやリリーと隣の犬の話。

 今年の4月に引越しをした。

 以前は,近くに犬がいなかったのだが,今回は隣の家に犬がいる。

 ラブラドールである。

 しかし,この犬は実に可愛そうである。

 餌を満足に貰ってないのであろう。

 あばら骨は浮き出て,大型犬なのにうちのリリーのお尻よりも尻が小さい。

 顔だけがいやに大きい。

 体格は中型犬だ。

 ある日,彼はあまりにもお腹がすいたため,銀の餌皿を口に咥えてお座りをしていた。

 何時間も。

 哀れに思った妻と私は,飼い主のいないことを確認し,餌をあげた。

 何せ,ゴールデンウイークの真っ最中で,餌をもらえる確率は0に等しかったからである。

 一番安い,粒状の餌を上げた。

 貪るようにして食べている。

 いや,食べているというより,飲み込んでいる。

 あまりに急いで飲み込むものだから,時々吐いてしまう。

 それでも,吐いた物までしっかりと食べていた。

 食べ終わった後は,お礼のつもりなのか,お腹を見せて寝転がって尻尾を振っていた。

 お腹を撫ぜると目を細めて喜んでいた。

 他にも,彼の哀れな様子が窺える。

 繋がれている紐も,ワイヤーのような細い頑丈な紐で,首に食い込んでいる。

 「首輪」ではない。

 ただのワイヤーである。

 しかも,長さは2m位しかない。

 小屋は小型犬用の小屋で、ラブ(勝手に命名)が入ったなら顔が出てしまうくらい小さい。

 散歩にも連れて行ってもらえないのだろう。

小屋の周りには,糞が無数に転がっている。

下の世話もしてもらっていない。

だから,ラブの体はべたついていて,臭い。

 妻と私の間では,次の決まりを設けた。

1.飼い主に見つからない様に餌をあげる

2.そのうち,飼い主が長い間いない時を見計らって穴を掘り,糞を埋める

3.出来ればシャンプーもしてあげる

 こうして,我が家の隠れ家族が1匹増えた。

 リリーはと言うと,度々食物を持って家を出て行くのが気に入らないらしい。

 そして,帰って来た時には,他の犬の臭いがするのを不審がってる。

 散歩に行く時にいつもラブに会うのだが,いつも挑戦的な態度である。

 リリーにとってラブに置かれた状況が「隣の青い芝生」に見えるのだろう。

 食べたくない物は無視をし,いつでも水が飲める。

 人間が食す美味しい食物のおこぼれも頂戴できる。

狭いながらも,家の中は自由に歩ける。

 散歩も日に2回,定期的に連れて行って貰える。

 いつも誰かに構って貰える,彼女にとってそれはあまり嬉しくないことだろうけど。

 人間とは,いや動物とは勝手な者である。

 それでも,「隣の芝生は青い」のである。

 実際はラブがリリーの状況を「青い芝生」と感じているだろう。

 それが正しい「隣の芝生は青い」の使い方である。

木曜日, 4月 26, 2007

皮肉

   皮肉

 余りにも有名な話だが,ヘルマン=ヘッセは「詩人になりたい。さもなくば,死にたい」と生前言っていたらしい。

 オイラは「小説家になりたい。さもなくば,死にたい」と思っているから,きっと82歳までは生きるだろうwww。

 ところで,どうやって「皮肉」という言葉が生まれたのであろうか?

 「皮肉」とは「皮」と「肉」である。

 先ほどから使っている「皮肉」という言葉の意味は,「③遠まわしに意地わるく弱点などをつくこと。あてこすり」と広辞苑第2版には書いてある通りである。これは「②骨身にこたえるような鋭い非難」から転じたのだと思う。

 そう考えると,何となくではあるが,なんとなく分かる気がしないでもない。

 そこで次の言葉を考えてしまった。

 「親切」である。

 「親」を「切る」と書いて「親切」。

 何だ,これは。

 親を切ると優しいことになるのか?

 いや,待てよ。

 「親しい(ちかしい)」人が悲しむと「切なくなる」からではないか?

 何となくそう感じてきたぞ。

 うん。

 きっとそうだ。

 待てよ,また思い浮かんでしまった。

 「割愛」とはどこから出来きてきたのだ?

 「愛」を「割る」と省略することになるのか?

 これは参った。

 本当に分からない。

 誰か,説明してくれ。

土曜日, 3月 24, 2007

言葉考

 「言葉考」

 後につづける言葉が違うと,意味がまったく違ったものになる言葉がある。

 例えば,『罪深い』だ。

 「私は罪深い人間です」と書いたら,ああ,この人は心に何か悔やまれることがあるんだろうなと思ってしまう。

 「私は罪深い女よ」とくれば,ほうほう,この女の人は相当男を泣かせたなと思う。

 「罪深い子供」ときたら,何かこの子供にはドロドロした猟奇的なものを感じてしまう。

 だから何だと言われても,何も言えないが,言葉って面白いと思ってしまう。

 言葉を研ぎ澄ますことに,今一番関心がある。

 もっと適切な言葉は? もっと言葉を削って,などと考えると自然と俳句に辿り着く。

 五七五の中に季節を入れ,作者の心情を語る。

 むずかしい。

 芭蕉を超える俳句はもう無いかもしれない。

 そんな領域に達した芭蕉は晩年に何を感じたのだろう?

 言葉の虚しさだろうか?

 もっと言葉を語りたかったのだろうか?

 私は現存する作家の中で最も好きなのは村上春樹である。

 その村上春樹が15年程前に書いた本がある。

 共著は糸井重里である。

 確か題名は『夢で会いましょう』だったと思う。

 その中で,糸井重里の書いた文の中にこんな件があった。

 「仮面という言葉をお面という言葉に変えたら面白い」

 「道化師という言葉の代わりにおかしな人と言ったら面白い」

 というようなことである。

 流石,日本を代表するコピーライターである。

 言葉の本質,言葉の違いを的確に表している。

 

 奥さんと別れて,ほかの有名女優と結婚した糸井がわからなかった。

 人道的に許すことが出来なかった。

 しかし,この本を読んで以来,私は糸井重里を見直すようになった。

 だからどうした,と言われても困るのだけれど。

木曜日, 3月 08, 2007

『オラの家族 Vol.15 ピコとオンタ』

 『オラの家族 Vol.15 ピコとオンタ』

 今回もピコとピコとオンタの続きである。
 ピコは雌で,オンタはオスだ。
 ピコの方を先に飼っていたので,ピコは年上女房だった。

 ピコは雛から育てたので人懐っこく,オンタは成鳥として飼ったので人の手には絶対に止まらなかった。
 そんな訳でオンタは家族からもオイラからもあまり可愛がられなかった。
 いや,殆ど可愛がられなかった。
 
 可愛がられなかった理由はもう一つあった。
 オンタは意地悪だったである。

 オンタはよくピコを苛めていた。
 嘴でピコを突っつくのである。
 可愛そうなピコはいつも頭髪を薄くしていた。
 女性だから尚更哀れである。
 まるで,尼さんの様だった。
 ピコは,別にどこかの宗教団体に属してるわけではなかったが。
 オイラは,オンタがピコを突っつく度に籠の中に手を入れ,オンタを追い掛け回し,捕まえては叱っていた。
 でも,オンタは自分を省みることなく,ピコを突っついていた。
 正真正銘の鳥頭だから仕方が無いと言えば仕方が無いだろう。
 でもやはり,毛の薄くなったピコの頭部を見る度に,ピコが哀れで仕方なかった。

 そんな番であったが,やはり,夫婦としてやることはやっていた。
 まあ,例えるなら,DV(ドメスティック・バイオレンス)の夫婦と言ったところだろうか。
 自分が気に入らないときは,暴力を振るうが,夜になるとちゃっかりやっているヒモの様な男がオンタなのだろう。
 
 そんな対照的であったピコとオンタだが,両方とも共通することがあった。
 もしかしたら文鳥全部に通じるのかもしれないが。
 それは,水浴びである。
 毎朝,オイラは鳥の世話をしていた。
 餌を取替え,籠の床の掃除をし,水を取り替えていた。
 水を取り替えるとすぐに二人とも水浴びをしていた。
 しかし,ここにも男尊女卑があった。
 先に水浴びをするのは,必ずオンタだったのである。

 本当にピコは年上女房として,DVされるにもにも水浴びをするにも食事をする時でも,耐え難きを耐え、忍び難きを忍んでいた。

 そんなピコもオイラが小学校高学年の時,死んでしまった。
 安らかな眠りに就いたような死だった。
 そして,1年も経たないうちにオンタも後を追うようにして死んでいった。
 虹の橋の袂では,今もオンタが先に水浴びをして,ピコはじっと待っていると思う。