日曜日, 3月 13, 2011

『たもちゃん vol.13』

 たもちゃんが死んだ。
 未だに実感がわかない。
 病院から帰った時、葬儀会場から帰った時、茶の間で椅子にちょこんと座っているような気がした。
 あのガタイのいいたもちゃんが小さな箱に収まってしまった。
 骨格はしっかりしていたのに浮腫んでいた足の骨は変色して粉々だった。
 まだ、頭の中がふわふわしていて現実感が無い。

 昨年からたもちゃんは入院していた。
 パーキンソンもそうだが、他にも大火傷や肺炎にもなっていた。
 昨年、家に誰もいない時にたもちゃんが薪ストーブで火傷した。
 咲ちゃんが発見した時、たもちゃんはストーブを抱き抱えるようにしていたという。
 不幸中の幸いか、パーキンソンが進んでいたため、さほど痛みや苦痛を感じていなかったらしい。
 あまり痛みを感じていなかったからこそ長時間ストーブを抱えていたのだろう。
 声をあげる事もできずに・・・。

 以前から血圧が急激に下がって意識を無くす事があったのだが、この火傷で皮膚移植をしてからは更に体力が無くなった。
 そして、今年になって肺炎になった。
 
 2月の中旬から意識を無くす事が多くなった。
 2月の末に咲ちゃん達は医者に呼ばれた。
 その時は、退院の話だと思ったらしい。
 時々、意識は無くなる事があるもののとても死期が近いとは思われなかったらしい。
 しかし、医者の言葉は無情だった。
 「今のうちに会わせたい人に連絡してください」
 それから咲ちゃん、さな、たみの3人が交代で常時付き添うようになった。
 そして、7日にたみから電話が来た。
 たもちゃんが昏睡状態に陥ったと。

 オイラと娘は急いで駆けつけた。
 高速道路では160km/hで走った。
 はみ出し禁止の所でも追い越しをした。
 警察に捕まってもいいと思っていた。

 病室に入ると酸素吸入マスクを付けたたもちゃんがいた。
 息は荒かったがしっかりとしていた。
 何とか存命のうちにたどり着く事が出来た。
 しかし、たもちゃんは苦しんでいた。
 痰が気管に詰まっているのだろう。
 何度も何度も咳き込んでいた。
 でも、痰を除く方が苦しいんだとたみとさなが呟いていた。

 そして2011年3月7日17時42分、大きく咳き込んでたもちゃんの心臓は止まった。
 以前にも心臓停止はあったので、今回もすぐに回復すると皆が思っていた。
 しかし、それきりたもちゃんの心臓が動く事はなかった。
 咲ちゃんとさなとたみと娘に看取られたのがせめてもの救いだった。

 それから葬儀で忙しかった。
 親を送り出すのは初めてだった。
 喪主は咲ちゃんで、施主は義兄のやっち。
 オイラは雑事を片付ける事でサポートした。
 次から次へとやる事があって目が回りそうだった。
 でも、その時は忙しさで悲しみが紛れた。
 
 葬儀の時のエピソードは次の機会に。