月曜日, 11月 20, 2006

その仔 2

 『その仔 2』

 その仔は,いつも玄関で彼女を待っていた。
 彼女の足音が聞こえると,大きく尻尾を振った。
 彼女はいつもすぐに抱きしめてくれた。
 その仔は彼女の匂いを嗅ぎながら,尻尾を振り続けた。
 いつまでも。

 ある日,彼女は行ってしまった。
 その日の彼女は白い服を着ていた。
 その日,彼女は別れる時,涙を浮かべていた。
 いつもより強く抱きしめられた。

 その仔は,いつものように玄関で,彼女を待っていた。
 しかし,その日,彼女は帰って来なかった。
 長い間,その仔は彼女を待っていた。
 朝まで,待っていた。
 でも,彼女が帰って来ることはなかった。

 次の日もまた次の日もその仔は,彼女を待ち続けた。
 彼女の足音が聞こえてくるのを待っていた。
 その仔のそばに,食物が置かれるようになった。
 その仔は玄関以外にいることはなかった。
 時々,大儀そうにその仔は食事した。
 時々,水も飲んだ。
 昼寝もした。
 しかし,足音が近づくたびに,耳をそばだてた。
 でも,彼女が帰って来ることは無かった。

 来る日も来る日も懐かしい足音を待っていた。
 そして,ついに懐かしい足音を聞く時が来た。
 彼女がドアを開けた。
 懐かしい顔がそこにはあった。
 その仔は懐かしさのあまり,千切れんばかりに尻尾を振った。
 彼女はその仔を抱きしめた。
 彼女の匂いがした。
 同時に,忘れかけていた母親の乳房の匂いも感じていた。

 彼女の後ろに見知らぬ人が立っていた。
 その人は,小さな包みを抱えていた。
 彼女とその人は,大事そうに包みを抱いていた。

 夜になり,その仔は彼女のそばで寝ようとした。
 しかし,彼女はそうさせてはくれなかった。
 仕方なくその仔は,居間で寝た。
 寝ている途中,彼女が何度も起きてきた。
 そのたびに,今まで聞いたこともない泣き声が聞こえてきた。
 彼女はとても,そう,とても忙しそうだった。

 次の日,その仔は,草原で走れると思った。
 以前のように彼女が連れて行ってくれると信じていた。
 しかし,彼女は草原には連れて行ってくれなかった。
 それどころか,彼女は小さな包みを抱いてばかりいて,かまってくれなかった。
 その仔はただ,彼女の足を舐めていた。
 一日中。

 彼女が以前のように遊んでくれないのが,その仔は不思議だった。
 不満だった。
 寂しかった。
 かまって欲しかった。

 その日,彼女は唐突にいなくなった。
 出かける時の抱擁も無かった。
 その仔はまた,玄関でいつまでも彼女を待つ。
 いつか彼女が帰ってくるのを期待しながら。

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