『その仔 3』
その仔は,その日も玄関にいた。
静かな雨音だけが聞こえる昼下がりだった。
その仔は,静かな眠りと静かな雨音のはざまにいた。
唐突にドアが開いた。
その仔は,今まで足音を聞き逃したことが無い。
その仔は,何が起こったのか,すぐには飲み込めずにいた。
しかし,ドアのところには,懐かしい彼女の顔があった。
その仔は,立ち上がった。
かに見えたが,そうではなかった。
その仔はもう立ち上がれなかった。
その仔は,立ち上げれないもどかしさで一声吠えた。
すぐに彼女が抱きしめてくれた。
その仔は嬉しさあまりに力いっぱいに尻尾を振った。
しかし,それはあまりにも弱々しい振り方だった。
その仔は彼女の顔を舐めた。
塩辛い味がした。
彼女は顔をくしゃくしゃにしながら,その仔をただ抱きしめていた。
そして,彼女は,そっとその仔を寝かせた。
その仔は,されるがままだった。
彼女は,そっとその仔の頭をなでた。
その仔は,小さく尻尾を振った。
かすんでよく見えない目で,その仔は彼女の顔を見つめた。
彼女が泣いている。
なぜ泣いているのか,その仔はよく分からなかった。
その仔はなんだか疲れていた。
彼女と草原をもう一度走りたかった。
その仔は,尻尾を振りながら目を閉じた。
その仔が目を開けることはもうなかった。
その仔は,今,花の咲き乱れる草原で,元気に走り回っている。
彼女が早くここに来ることを願いながら。
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